自分の幸せのために努力する
大事にしていることがある。自分の精神の上には何も乗っけないということだ。
もちろん人の顔色を伺うときもあるし、人の評価が気になるときもあるし、相手に恐れてしまい緊張するときもある。けれども、その時に自分で感じた怒りや悲しみ、喜びなどは自分だけのものだ。その時に考えること、思想は誰にも侵害されるべきものではない。
なんのために努力するのだろうかと考える。なんのためにお金を稼ぐのか考える。なんのために将来に向けて投資をするのか。いつか自分が年老いて施設に入ったとき、延命治療をするためにチューブから栄養を送られる時に経済的な負担を軽くするためだろうか。
思考するより行動しろという人もいるが
しかし、心が疲れて動けないときもある。その時に自分の心としっかり向き合うべきだ。
なぜ悲しんでいるのか。なぜ怒りが湧くのか。内省をしなければいつまでも感情に囚われてしまう。悩みのほとんどの多くは人間関係によるものだと私は思う。
他人のことで悩み疲れ、精神を侵害されたくないとも思う。部屋から1歩も動けなかったら、素直にその感情に従えばいい。
疲れたら休もう。
自分の幸せのために努力をする
自分が子供の頃、親戚の叔母さんで常に人助けをする人がいた。
道端でゴミが落ちていたら拾い、困った人がいたら声をかける。ありがとうと声を掛けられると「自分のためです」と答えていた。
自分はなぜ自分のためですと言うのか疑問に感じていた。今であれば、人助けをするのが自分の幸せためだとわかる。共依存関係になったとしても、人にたかることはせず、淡々と自分の幸せのために努力をする人間になりたい。