きちんと生きようとすれば制約が生まれる
例えば筋トレをして体を作っていく時に成長速度を最大限にするためには、筋トレの強度や頻度を上げることが必要で、それを可能にするには食事をして栄養を補給し、しっかり睡眠をとって休めなければいけない。食事と睡眠をしっかりとらなければ、いくら追い込んで筋トレをしても筋肉がつくスピードは鈍化する。
栄養のある食事をするには、栄養成分にも気を使うし、量を摂るには経済的にも優しい自炊をしなければならない。自炊をすると食器を洗わなければいけない。コンビニ弁当であればゴミを捨てて終わりだ。
しっかり睡眠を摂るには、夜中まで起きていられないし、スマホのブルーライトで睡眠効率が落ちないように寝る前はスマホを見ないという習慣が必要になる。
筋肉をつけるには時間をかけるのはもちろん、日々の生活も変えなければならない。
もちろん筋トレに例えたが、筋トレ以外にも自分の好きなことをやりたいときは、他のことを我慢したり、全ての欲望をかなえるためには経済面で副業をして稼いだりする必要がある。その際、これはしないという制約は生まれていると思う。
ポルノを見ないという選択肢
残りの人生を考えて、ポルノを見て一時的な快楽のために、PCのモニターに釘付けにされるのはやめる。
アダルト産業がどうやって人の時間をポルノに割かせるかと日々研究している中で、ぼうっとしているとその罠にハマる。つまり時間を奪われるのだ。
ポルノを見ないという選択肢は、自分の人生にとって制約が生じるものだろうかと考える。
ポルノを見ないことで、何かを諦めたり、何かに挑戦できない理由になるのだろうか。
答えは単純明快で制約は生まれないと考える。
ポルノを見たいという衝動には、人肌恋しい、寂しい、不安に感じるなどの心の隙間を埋めたいという理由があって、ポルノ中毒になることでその問題が解決することにはならない。
寧ろポルノを見ることで最大なデメリット効果である、「問題を先に送りにする」ことを回避することができる。
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