新しい情報に依存する
自分の行動に自信がない時、情報をもとに行動する時、わからないこと、つまずいた時に調べる。
ポルノを見たいという衝動があったのは、ポルノを見て興奮したいと純粋に思ったわけではなく、新しい情報が出ているかもしれないと思ったからである。
ニュース、SNS、メルマガ、掲示板など様々なところで情報が日々更新されている。
頭で同時に処理できるのは7つまで言われているが、片手だけで得られる情報はその数をゆうに超える。スワイプにより情報は瞬時に切り替わる。
なぜ、情報に依存するのか。新しい情報を得ることもポルノと同様にドーパミンを発生させる行動なのである。
判断の誤りにつながる
情報は多ければ多いほど良いというわけではない。待っていれば情報が手に入り、指先一つで得られる情報はそもそも過剰なのである。
情報によって行動を左右されるが、かえって情報によって何もできなくなることもある。
情報は見せ方によって認知の歪みにもつながる。
インスタグラムの切り取り方がまさにそうだろう。生活の中で映えを求め、映えを褒められ、映えを期待され、映えを期待し、映えのためにお金を使い、映えばかり気になる。
映えの裏側には、映えない暮らしがあるのにも関わらず、映えているからこの人の暮らしはきっと全てで満足度が高いと、映え中毒者に思い込みをさせる。
切り出しの情報から錯覚してしまう。
何の役にも立たない情報
情報の洪水で、社会を混乱させる。
だからこそ、この時代を上手く生きるには、情報の取捨選択をすることが重要である。
たくさん情報を集めても、何に役立てていいかわからない。
結局、自分がしたいことのために集めた情報と何となく後で役に立つだろうと思って集めた情報とでは自分の中の価値が異なる。
自分で探し、自分で調べ、自分で見つけた情報に価値がある
図書館で調べたりしたり、詳しい人に教えてもらった、能動的に得た情報は忘れない。
昨日の見たヤフーニュースなど検索エンジンで何気なく見た情報なんて数秒後には忘れている。
情報の洪水により、考え方を硬直化させ、身動きできなくなる状態にはならないようにしよう。
だからこそ、貪るように情報を集めるのは辞めてみよう。
気づいたことは、定期的に新しい情報を更新することは、情報に依存させる行為である。
ゆえに商業的には必要と考える。